Electigmaについて

【矛盾】論理的なのにどこかがおかしい?パラドックスとは何なのか

一般的に正しいと思える前提や論理的な筋道を通ったにもかかわらず到底受け入れがたい結論が得られる問題を「パラドックス」という。

その歴史は古く、現代にいたるまで数多くのパラドックスが議論され「解消」と「発生」を繰り返してきた。身近で起こりうるものや、パラドックスをきっかけとして研究が進んだ分野も数多く存在する。

今回はそんなパラドックスの意味と有名な例をいくつか紹介する。

そもそもパラドックスとは

パラドックスには主に2つの意味合いがある。

1つは、「妥当な前提と妥当な推論から一般的な直感に反する結論が得られる」こと。

2つ目は、「一般的な直感的に反するが実際には正しい」といったものだ。

厳密な定義は前述の2つだが、広義では矛盾やジレンマといった意味でも使われる。

前者は「真のパラドックス」と呼ばれ、たとえ結論が出なかったとしても論理を極限まで突き詰めていくことで、ある種の真理にたどり着くことが期待される。

一方で後者は「疑似パラドックス」と呼ばれ、「真のパラドックス」とは分けて考えられることが多い。

真のパラドックス疑似パラドックス
前提妥当妥当
推論妥当妥当
得られた結論論理的に考えて受け入れがたい直感的には違和感があるが矛盾はない

疑似パラドックスの例としては以下のものが挙げられる。

1.誕生日のパラドックス

 「23人集めれば、誕生日が同じペアができる確率が50%となる」というもの。想定よりも高確率のため疑似パラドックスに分類される。

2.ヘンぺルのカラス

 「一羽のカラスも調べずに、すべてのカラスが黒いことを証明できる」というもの。数学的帰納法の矛盾を示した事例。

これ以外に論理的な矛盾ではなく、一般的な直感と数学的に求められた確率にズレが生じているものも疑似パラドックスに分類される。

倹約のパラドックス

 『最善手だと思って打った手が、かえって裏目に出た』といった経験はないだろうか。合理性を追求していった結果として、だれも望まない方向に物事が進むことは往々にして起こりうるものだ。

その一例として、『雨の日に車を使用する』が挙げられる。雨の日は濡れるのを避けるため、晴れの日よりも車の使用率が高くなる。すると普段は発生しないような区画に渋滞が発生し、会社にも遅刻してしまう、といった話だ。

この原因は、人間が限られた情報をもとに判断を下したことにある。この現象は経済学的な用語で「限定合理性」または「合成の誤謬」と呼ばれている。

そんなジレンマを扱ったのが「倹約のパラドックス」(貯蓄のパラドックス)だ。

「合理性」が招く「不合理」

 「不景気で老後が不安だから倹約をして貯蓄を増やそう」、先行きが不透明で、将来に対する漠然な不安を覚えている人々は、どうにかして支出を抑えて貯蓄を増やし、経済状況を改善しようとするはずだ。

年収が500万で支出が400万の人は100万しか貯金できないが、節約して支出を300万にすれば200万を家庭に残すことができる。10年継続すれば両者の差額は1,000万だ。ここまでを見るとメリットの方が多いように思える。だが然うは問屋が卸さない。

ぱっと見何も問題ないように思えるが、この行為が逆にあなたを苦しめることがある。

「貯蓄を増やす」ということは、言い換えれば「消費が減る」ということであり、消費が減るということは、企業の業績が悪化するということを意味している。

すると、企業は財務の調和を図るために労働者の給料を削減せざるを得ない状況に追い込まれる。

さらに、その企業で働く人たちは倹約を検討するようになり、貯蓄を増やそうと行動を起こすような悪循環が生まれると、いずれ各家庭の経済状況が現在よりも悪化してしまう。

この現象は「倹約のパラドックス」と呼ばれている。大まかにいえば、貯蓄の増加は社会経済にとっても個人にとっても有害となりうる、ということだ。

各家庭(ミクロ)の最善手が社会経済(マクロ)にとっての悪手となる、なんとも不思議な話だ。

なお、現時点でこの問題の根本的な解決策はない。方法論としては、どんどん金を消費することが挙げられるが、現実味が全くないうえ、自分の消費を増やしても全体の消費が上がらなければ意味がない。

物事を長期的な目で見る意識が社会全体に広がることが必要となる。